自分は強迫性障害かもしれないと思うもう一つの症状 

目次

強迫観念は『確認行為』だけではない

 

前回の記事で厚生労働省の『みんなのメンタルヘルス』というサイトに『強迫性障害』のことが載っているということを書きました。

その症状の1つ、『確認行為』に関して私の事例を書いたのですが、どうやら『強迫性障害』の『強迫行為』はそれ以外にもあるようなのです。

 

 

儀式行為

自分の決めた手順でものごとを行なわないと、恐ろしいことが起きるという不安から、どんなときも同じ方法で仕事や家事をしなくてはならない。

~『みんなのメンタルヘルス』より引用

 

 

これを読んでドキッとしました。思い当たるフシがあったからです。

 

 

走る時に思うこと笑…いごとじゃない!

 

私は週に一度、ジョギングをしています。ゆっくりと距離にして10キロから20キロくらいを走ります。

 

朝7時過ぎに家を出て、近所を通り抜け、大通りの歩道を走り、やがて離れ、だんだん増えてくる畑を見ながら、川べりのサイクリング・ロードへ向かいます。

 

川べり

 

サイクリングロードを5キロくらい走ったところで左に曲がり、先の大通りへ戻るのです。大ざっぱに言うと長方形を形どるように走るわけです。

 

ジョギングを始めてもう3年以上がたちますが、この長方形を左回りで走るのが常でした。特に理由はありません。走り始めたときがその方向だったのでそれが習慣になったのでしょう。

 

そんなある日、何気なくふと思ったのです。

 

「たまには逆回りで行ってみっか♪」

 

それはほんの気分転換のつもりでした。逆向きで走ったらいつもと違う光景が見られるかな、くらいの軽い気持ちだったのです。

 

そうして私は、いつもならまっすぐ行く交差点を左に曲がり、長方形ルートを右回りで走りだしたのです。

 

ところがしばらくして、なぜだか分かりませんが次第に不安な気持ちになってきました。何か心がザワザワするのです。

 

その不安の源はすぐに分かりました。

 

いつもと逆向きに走っている

 

その事実が自分を不安に陥れているのでした。

 

いつもと逆の方向を向いて走ることによって、いつもと違うことが起こるのではないか――そんな不安が頭をもたげてきたのです。

 

さらに言えば、いつもと逆向きに走ることによって、今いる時空間から別のところへ放り込まれてしまうのではないか、そんなSFじみた不安までもが生まれてきたのです。

 

 

ここまで来ると異常のそしりをまぬがれません。まったく根拠も何もない話ですが、しかし、走れば走るほど、その不安な気持ちは強くなってきました。

 

私はカラ元気を出そうとしました。オイオイオイ、オレよ、いったい何をワケの分からないことを不安がっているんだ?そんなことあるわけないじゃないか?いつもと違う向きで走っているだけじゃないか。それで何かよくないことが起こるなんて、そんなことあるわけないじゃないか。バカも休み休み言えよ。

 

――でもダメでした。いくら自分を安心させようとしても、いくら笑い飛ばそうとしても、胸のザワザワは消えません。

 

私は自分がほとほとイヤになりました。

 

オイオイ、どうして自分の考えたことで、こんな気持ちにならなきゃいけないんだ?どうしてこんな天気のいい朝に、こんなワケの分からない気持ちを抱えて走らなきゃいけないんだ?どうして自分で自分を不安がらせなきゃならないんだ?ホントにもう、シャキッとしろよ、オレ!

 

今度はそうやって自分を奮い立たせようとしました。

 

――でもダメでした。やっぱり不安は消えないのです。

 

どうしたらこのザワザワを消せるのか?

 

元の分かれ道まで戻っていつもと同じルートでやり直す?

 

でもこの場所からさっきの分かれ道まで戻る気にはなれませんでした。不安がりながら、けっこうな距離を走っているのです。これで戻っていたら相当の重症でしょう。さすがにそこまではできなかった。

 

最終的に私がとった行動はこうでした。

 

全体の半分くらいまで来たところで、突如回れ右をして、いつもと同じ向きで走るようにしたのです。今まで走ってきた道を、逆向いて――つまりはいつも通りの向きで――走り出したのです。

 

こうすることで、私はようやく、時計の針をいつもと同じ進み方にできたような気がしました。自分を取り巻く空間を元通りにすることができたような気がしました。こうして胸のザワザワをなんとか消すことができたのです――

 

 

――これはまさに『みんなのメンタルヘルス』に載っていた話そのものではないでしょうか。

 

儀式行為

自分の決めた手順でものごとを行なわないと、恐ろしいことが起きるという不安から、どんなときも同じ方法で仕事や家事をしなくてはならない。

 

今こうして座ってパソコンに向かっている限りは、どうしてあんな馬鹿げたこと思ったんだろうと考えることができますが、走っている最中はとてもそんな余裕はありませんでした。とにかく、いつもと逆向きであることが非常に不安を感じさせたのです。

 

 

あてはまる症状と治療のために

 

『みんなのメンタルヘルス』には以下のような症状が書かれています。

 

 

代表的な強迫観念と強迫行為

  • 不潔恐怖と洗浄
    汚れや細菌汚染の恐怖から過剰に手洗い、入浴、洗濯をくりかえすドアノブや手すりなど不潔だと感じるものを恐れて、さわれない。
  • 加害恐怖
    誰かに危害を加えたかもしれないという不安がこころを離れず、新聞やテレビに事件・事故として出ていないか確認したり、警察や周囲の人に確認する。
  • 確認行為
    戸締まり、ガス栓、電気器具のスイッチを過剰に確認する(何度も確認する、じっと見張る、指差し確認する、手でさわって確認するなど)。
  • 儀式行為
    自分の決めた手順でものごとを行なわないと、恐ろしいことが起きるという不安から、どんなときも同じ方法で仕事や家事をしなくてはならない。
  • 数字へのこだわり
    不吉な数字・幸運な数字に、縁起をかつぐというレベルを超えてこだわる。
  • 物の配置、対称性などへのこだわり
    物の配置に一定のこだわりがあり、必ずそうなっていないと不安になる。

~『みんなのメンタルヘルス』より引用

 

 

この中で私に当てはまるのは、「不潔恐怖と洗浄」「確認行為」「儀式行為」ということになります。

 

まだ当てはまらないのは「加害恐怖」「物の配置、対称性などへのこだわり」です。さすがにそれはない。

 

あと、「数字へのこだわり」は少しありますね。

 

いずれにしても、上記3つがしっかりと当てはまるのですからビンゴでしょう。やっぱり私は『強迫性障害』のようです。

 

あとはなんとかこの3つで終わるようにするしかありません。いや、できればこの3つも治したい。そのためにも以下のことを実践するしかありません。

 

再発予防効果が高い「曝露反応妨害法」が代表的な治療法です。
患者さんが強迫観念による不安に立ち向かい、やらずにはいられなかった強迫行為をしないで我慢するという行動療法です。
たとえば、汚いと思うものをさわって手を洗わないで我慢する、留守宅が心配でも鍵をかけて外出し、施錠を確認するために戻らないで我慢する、などです。こうした課題を続けていくと、強い不安が弱くなっていき、やがて強迫行為をしなくても大丈夫になっていきます。

~『みんなのメンタルヘルス』より引用

 

 

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2 件のコメント

  • ジョギングの回る方向で不安になったと書かれていますが、ごく当たり前のことですよ。
    調べるとわかると思いますが、左回りの法則というものがありまして、人間は左回りを無意識的に選ぶことが多い習性があるのです。商業施設はこの法則を利用しているくらいです。

    他の書かれている症状は、重要なのは程度です。「当てはまる」程度では問題にならないです。なぜなら鍵の閉め忘れなどが気になって不安で自分が疲れ果て体調を崩すとか、気になって生活すらできず体調を崩すとか、他人に攻撃したくなり周囲の人の健康を損ねるといった、自分や他人が困る行動に至らなければ問題にならないからです。問題にならない程度なのに治す必要はありますか?ないのです。

    重要な程度について書いていない「みんなのメンタルヘルス」のほうが問題です。厚生労働省もサイトの在り方を考えてほしいものです。国の将来のほうが不安になります。

    • 左回りの法則というものがあるんですね!初めて知りました。どおりで昔から無意識に左回りコースをとっていたわけです。

      あと確かに鍵も何度も何度も確認しますが生活に支障をきたすというほどではありません。程度が重要なんですね、どうも必要以上に考えすぎていたようです。

      コメントありがとうございました!

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