『新しいメディアの教科書』を読んで思ったこと。「私」をやめて「僕」で書こう。

 

ブログの1人称で悩むことありませんか?

 

僕、私、俺、ぼく、わたし、オレ。書くとなると1人称ってけっこういろいろあります。

 

私もこのブログ、今までずっと「私」で書いてきました。

 

でもやめます。

 

「私」をやめて「僕」にします。

 

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目次

「私」にしていた理由

 

これまではなぜ「私」だったのか?

 

別に大層な理由があるわけじゃないんです。

 

ただ、口頭での会話ではなく、一応書きものなので「私」のほうがいいかなと。

 

それと49歳という年齢ですね。

 

20代や30代の人ならともかく、もう50間近のオッサンですから「私」のほうがふさわしいのかなと。

 

で、「私」「私」と連呼していたわけです。

 

普段「私」なんて言わない

 

でもよく考えてみると、日常生活で「私」って言うこと、あんまりないんですよね。

 

家じゃ100%言わないし、

 

会社でもお客様には言うけど、それ以外では言わない。

 

だいたい「僕」です。

 

「私」を使うのは、

 

やっちまった…!

 

ミスった…!

 

と、とりあえず謝らなきゃ…!!

 

という時に「私」を使うことが多いですかね。

 

横に並んでいる誰かに話しかける

 

こんなことを突然言い出したのはこの本を読んだからです。

 

 

Twitterでもよく見かける佐々木俊尚さんがこれからのメディアについて語った本です。

 

これはアメリカの長文記事のメディアに関する説明のあとに続く一節。

 

日本語のブログでも、非常に長いがたくさんのビューを稼いで人気になっている記事を見かけることがある。こうした人気記事の特徴は、「一緒に並んで座っている友人に話しかけるような口調」を持っていることだ。

 

これを読んで思いました。あれ?

 

このブログはどうだろう?

 

友人に話しかける口調?

 

…たぶんちょっと違いますね。

 

「一緒に並んで座っている友人に」というよりは、

 

「営業でお客さんに話しかける口調」みたいになっているのではないでしょうか?

 

あるいは「仕事で初めて会った人」と話すときのような?

 

どうですか?

 

いや、それがダメだというわけじゃないです。何だって最初は丁寧が基本。

 

でも営業ならある程度お客様と親しくなってきたらそれなりに――最低限の礼儀をわきまえた上で――打ち解けた話し方も必要です。というかそれぐらいのほうがいい。

 

そんなことを考えると「私」のこのしゃちほこばった話し方も良し悪しなんじゃないかなと思いました。

 

また本の内容に戻ります。

 

読者との距離感や位置関係というのは、コンテンツ制作で重要なポイントだ。たとえばテレビとラジオの違いという有名な説明がある。テレビのスタジオでは司会者はカメラに向かい「テレビの前の皆さん」と呼びかける。しかしラジオのパーソナリティは「皆さん」とは言わない。「ラジオの前のあなた」と呼びかけるのだ。

 

これなんかはブログの世界でもよく言われることですね。大勢に向けてではなく、1人に向けて書けと。

 

なのでそれは分かっていたつもりでした。

 

でもさらにこの後。

 

ネットでは、多数に向き合うのでもなければ、ひとりの個人と向き合うのでもない。「向き合う」のではなく、横に並んでいるだれかに話しかけるのだ。

 

横に並んでいるだれかに話しかける…

 

「向き合う」のではなく、横に並んでいるだれかに話しかける…

 

それは考えたことなかった。

 

すごく考えさせられました。

 

すごく考えさせられた結果が「私」を「僕」に変えるだけというのが浅はかなところだけど、まずは「隗より始めよ」ということで。

 

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「だらだらと読み続けられる」というゆるさ

 

逆に、読んで少し安心できたのがこちらの一節。

 

「だらだらと読み続けられる」というゆるさも大切。読んでいる途中で飽きる頃になってくると、小さな新しい盛り上がりがあり、新しいエピソードも出てくる。こういう仕掛けや文体をどう作っていくのかということを、より精密な分析によって検討するメディアがこれからは日本でも出てくるだろう。

 

実は最近気になっていました。

 

自分のブログは他の人のブログに比べてメリハリがなく、だらだらとしているんじゃないか。

 

まとまりがなく分かりづらいんじゃないか。

 

どこの馬の骨とも分からないオッサンの下手なエッセイのようになっているんじゃないか。

 

そんな迷いを感じていたのですが、これを読んで少し勇気づけられました。

 

「だらだら」でもいいのか!

 

もちろん「だらだらと読み続けられる」と「だらだらとしている」は似て非なるものですが、「だらだらと読み続けられる」ように意識すること自体は間違っていないですよね?

 

だったら私は、いや僕は、「だらだら」を目指そう。

 

「だらだら」を極めよう。

 

「ゆるゆる」だけど「だらだら」と読み続けてもらえるものを書こう。そう思いました。

 

織りこまれたジョーク

 

これもアメリカの長文メディアに関する記述です。

 

読者が物語を消費する時に、何がモチベーションになるのか。多くのプラットフォーム上でコンテンツを読んでもらうためには、どのように物語を構築すればいいのか。これらの分析をする時にどのような数字をつかっているのかは(中略)「読者から得られるポジティブなシグナルを見ている」のだという。実際、この記事では用意周到にジョークが織り込まれていて、ジョークの数は前文で65個以上にのぼっている。おもしろく読めるように意図的に計算されているのだ。

 

実はブログを書き始めた当初、記事の中でくだらない冗談を連発していました。

 

椎名誠さんが好きで、あの人のように予期せぬところで大きな笑いにおそわれる文章を目指していたからなのですが、有名な椎名誠さんならおもしろくても、まったく無名のオッサンの冗談なんて気持ち悪いだけ。

 

いろいろなサイトを読んでいくうちに、それはブログでももっともやってはいけないことの1つということが分かり、それから慌ててほとんど削除しました。

 

今では書いてません。つい書きたくなることもありますが。

 

でも、有名なブロガーさんの記事を読んでいるとたまにクスっと笑えるところがありますよね?

 

読んで悪い気はしません。

 

というか「笑えた=面白い」なんだから悪いわけがない。笑えるというのはいいアクセントになります。

 

少なくとも笑った直後に記事から離脱ということはまずありません。笑ったらその後もしばらくは読み進めるでしょう。

 

アメリカのメディアが意図的にジョークを織り込んでいるというのもそういう狙いがあるのでしょうね。

 

気色わるいオヤジギャグではなく、洗練されたジョークを使えるようになりたいものです。

 

文体で分かってもらえるようになること

 

「私」をやめて「僕」にしますとか、皆さんには、いや、あなたには、いや、隣のキミにはまったくどうでもいいことから始めましたが、結局何が言いたいかというとこれにつきます。

 

文体で分かってもらえるようになること

 

文体とは何か?

作家や作品に固有の表現としての文体。比喩などレトリックの特徴や用字・用語の使用頻度などが根拠になることもある。

~Wikipediaより引用

 

簡単に言うとその人の文章の特徴ですね。

 

好きな人が読めば椎名誠さんの文章はすぐわかるし、村上春樹さんの文章だってそうでしょう。

 

無名ブロガーが何をたわけたことをと思われるかもしれませんが、究極的にはそこが目標です。

 

個性のあるブログをつくりたい!!

 

この本を読んであらためてそんなことを感じました。

 

ブロガーの方には、いやキミには、きっと参考になることが書いてありますよ!

 

ただしkindle版のみ。199円でサクッと読めます。無料のkindleアプリで十分。

 

それじゃまた。最後まで読んでくれてありがとうございます。

 

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