
「視界に入れたくない」
ふとしたことで言い合いになった時、ムスメの口からそんなことを言われてキレた。
「そりゃこっちも同じなんだよ!だったらオレの前に出てくんな!!」
このあとお互いに相当にひどいことを言いあった。これまでも何度か似たようなことはあったけど今回のは最大。もう今後の関係修復は難しいレベル。というかムスメのほうもそんなことまったく考えていないだろう。
目次
父親と家族の仲がよくない
実はわが家は僕と家族の仲がよくない。
妻とムスメとムスコの4人家族。ムスコとはそうでもないんだけど、妻、ムスメとの関係が悪い。それもかなり。
冷えきっている妻との仲

もうほとんど口を聞かなくなって3年くらいになる。話すのは事務的なことのみ。思いやりや温かみのある会話はいっさいない。冷えて冷えて今は零下30度。たまにささくれだった言い合いをする。
結婚して22年、状況はずいぶん変わってしまった。理由はいくつかあるといえばある。
もちろん僕とて理想の夫婦像というものはあったのだけれどうまくいかなかった。気がついたら砂漠のように乾いた関係になっていた。
そしてそんな関係を子供も日常から見ているわけで。
「ウチのパパとママは話しない」とムスコも小学生の時に気づいていた。
悪化していくムスメとの仲
ムスメは妻、つまり母親とは仲がいい。何を話すのも、どこに出かけるのも母親べったり。
逆に、母親と仲がよくない父親に対してはどんどん嫌いな気持ちがあふれてくる。
そして嫌われていることが伝わってくる僕も次第に感情がねじれてくる。
それが今回お互いに爆発した。
「言いたいこといっぱいあるけどがまんしてるんだよ!」
「あ?そりゃオレだっていっしょだよ。でも何も言ってねーだろ?お前はあてつけがましいんだよ!」
完全に僕がムスメと同じ位置でけんかしている。もう歯止めが効かない。悪いほうへ、悪いほうへ流れていく。
僕はケンカが上手にできない

僕は日ごろから不満、イライラを中にため込むタイプで感情を小出しにすることができない。だからがまんしなくていいところでがまんし、がまんしなくてはならないところで暴発する。
たまりにたまって感情を出した時にはちょっと取り返しのつかないような反応をしてしまう。これまでも何度か――数は少ないけれど――そういうことをしてきた。思い出すと鼻をつまみたくなるようなことだ。
感情のコントロールがうまくできないから頭がカーッとなると、普通ならこれは言ってはいけないなと思うようなことまで口走ってしまう。
今回もそう。
「お前はサイテーだな!」「ほんとサイテーだわ!」キレまくった。
相手の人格を否定するようなことを言ってはいけないと冷静な時は分かっているのだけれど、もう感情が何もかも爆発しているから止まらない。普通なら絶対言わないはずのことを口が勝手にしゃべりだす。
そして後になって自己嫌悪におちいる。
父親と長男、長女の関係
実は僕自身が長男だ。弟が1人いる。
思い返してみれば若いころ、弟に比べて僕は父親との関係が悪かった。よくケンカしてた。
弟はそうでもなかった。
今でも思い出すことがある。ひと様に読んでもらうようなことじゃないんだけど書いてしまう。
ある日、いつものように父親とケンカしていた時、僕はついこんなことを言った。
「僕より〇〇(弟の名前)のほうがええんやろ!?」(注:いいんだろ!?という意味)
どうしてそんな甘ったれたことを口走ったのかは覚えてないし、ニュアンスがちょっと違うかもしれないけど、とにかくそんなことを言った。その時の父親の答えが忘れられない。
「そりゃ人間やから好き嫌いはあるわ」
…はい?
……それって思いきり認めてるやん!!
ま、昔話はともかく、そんなわけで父親との仲は良くなかった。いささか普通に話せるようになってきたのは30歳を超えたあたりからだろう。
そして気がついたら今度は僕と長女の関係が同じようになっているという皮肉。しかも感情のもつれは僕と父親の時以上に深い。
これってどうなんだろう。父親と長男、長女の関係って難しいものなんだろうか?それともこれはわが家に限ったことなんだろうか?
僕は父親稼業落第

でもそういうことじゃないんだよね。それは問題をすりかえているだけ。
関係性の問題じゃなくてこれは父親である僕の問題。
たまたまこんな記事を読んだ。
家族の幸せのカギを握っているのはお父さんといっていいでしょう。
お父さんがお母さんを真に愛すると、お母さんの心は満たされます。
そして、その満たされた心でお母さんは子供に深い愛情を注げるのです。
逆にお父さんがお母さんを愛せない人だと、お母さんは満たされないイライラした気持ちになります。
そのイライラした気持ちが子供に多大な悪影響を与えてしまいます。
~「鈴木雅幸の公式サイト」より引用
読んでその通りだなァと思うと同時に自分のダメさが分かってぐったりした気持ちになった。
まさに自分は0点。完璧な落第生だ。
ですからお父さんの役割、お父さんが子育てに与える影響を考えると、お父さんがしっかりしていれば、家族の幸せは保証されているといえます。
多少の問題はあっても、機能不全にまで陥ることはありません。
…ヤバイ。下手したら「機能不全」になっちまう。
なんとか立て直したい気持ちもないわけではないけれど、事ここに及んでは修復は難しいかなと思ったり。どうしたらいいんだろう。
父親が出ていけばうまくいく?

「視界に入れたくない」「文句がいっぱいある」「ずっとがまんしている」
そんなことを言われ続けると、ある言葉が喉元まで出てくる。
「そんなにいやなら出てけばいいじゃん」
でもそれは言わなかった。さすがにそれを言うのは思いとどまった、ともいえるし、たまたまそのとき言葉が出てこなかっただけかもしれない。
でもまた同じようなけんかになって同じようなことを言われたらそれを口にしない自信はない。
「出てけばいいじゃん」
言いかねない。
でもそれは言っちゃいけないよナと思う。
家だけは、帰るところだけは置いといてやらないと、と少しだけ思う。少しね、まだ感情がねじれているから。
そのためには何よりもそういうことを言いそうになる場を作らないこと。簡単にいえばけんかをしないこと。あまりいい方法じゃないけど「お互いに視界に入れないこと」。
そんなことを考えながら今、家の片隅でこうしてパソコンに向かっていて、ふと思った。
この家は僕がいないほうがうまくいくんじゃないか?
兄弟げんかの絶えなかった弟との関係も僕がひとり暮らしをするようになってからはけんかはなくなった。
父親との関係も、僕が結婚して家を出てからは次第に普通の――少なくとも表面上は――関係に戻った。
ずっといっしょにいるからイヤなところが見えてきて、あつれきも多くなる。普段は離れていてたまに会うくらいのほうがうまくいくってこともあるよね。
だったらムスメに出てけなんて言う前に自分が出てけばいいのでは?
それは根本的な解決にはまるでならないけど、でもいっしょに住んでいてどんどん悪化していくよりはいいんじゃないかって。そんなことを思ったわけです。
ま、実際は無理な相談だけど。
もやもやしたときはその気持ちを書くべし

どうしてこんな自分の恥部のようなことをわざわざブログに書いてしまっているかというと、それは「書くことが癒しになる」からです。これはプロブロガーのイケダハヤトさんも著書の中で言っていました。
自分のなかに、もやもやとした感情が渦巻いているときは、ぜひブログを書きましょう。稚拙でも、出し切ることができたとき、あなたはだいぶ「すっきり」しているはずです。
~『ブログ運営の教科書』より抜粋
そして同じようなことがこの本にも書いてあります。
この本は「創造性の回復」のために2つの重要なツールがあると指摘します。その一つが「モーニング・ページ」。くわしいことは本書を読んでもらえれば分かるけど、とにかく自分の気持ちを――大きなものから小さなものまで――書きつくすというもの。なぜ書くのか?
もっとくだけた言い方をするなら、それは「脳の排水」と呼んでもいいかもしれない。脳の中を掃除することが目的だからである。
やってみると分かるけどこれは実際効果があります。家にしろ会社にしろ、ゴタゴタがあるとすごく気持ちがかき乱されてしまうけど、書くと気持ちがいくぶんすっきりする。
買った当初は3ヶ月くらいこの『モーニング・ページ』を続け、ノート3冊くらいになりました。たまに見返すと、どうでもいいようなことでどうしてあんなに悩んでいたんだろう?ということがたくさん書かれています。
今回のけんかでも、その直後はいささか混乱し、気持ちもたかぶっていましたが、こうして書いてしまうことで誰のどこに問題があったのかが薄々分かってきます。
もっと父親力を上げられたらいいんだけど。
そんなことを思いつつ、しばらくは机上でとりとめもない空想にふける0点の父親。
一人で住むことになったらどこ行こう?
四国もいいなァと思うし、ちょっとした理由もあって、宮崎もいいかなァなんて思ったり。
あと思い切って海外。実は20代のころ、ニュージーランドに行きたくて『地球の歩き方<ニュージーランド>』を買ったことがある。実現しなかったけど。
そうしてたまに家族と動画で話すくらいになれば仲良くなれるかな?
貴重な時間を割いてこんなところまで読んでもらって感謝です。