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→「自分の長所・短所が分かる!8つの性格を教えてくれるエムグラム診断」
ここでは以下のことをお伝えしていきます。
- 簡単な自己紹介
- シワログで伝えたいこと
- こんなふうに生きてきた
- 年齢と内向型であることについて
- 「自分を変える」について思うこと
- 本人の特徴&家族構成
- 「人生大逆転!!」の野望
簡単な自己紹介
1968年(昭和43年)5月生まれ
小売店勤務 販売スタッフ
神奈川県横浜市在住
カミサン、ムスメ、ムスコと暮らしてます。
もういいオヤジ。あと半年で50歳。マジか…
シワログで伝えたいこと
いろいろなことを書いていますがコンセプトはただひとつ。
「人生大逆転!!」です。
特に読んでほしいのは次のような人たち。
- 40代以上の人
- 内向型の人
そうじゃなくても胸の奥に、
- これまで思うような人生を送れていない!
- これまでくやしい思いをいっぱいしてきた!
- このままでは終われない!
- アンチキショーには負けられない!
を抱えている人です。
きっと僕だけじゃないですよね?同じように思っている人はたくさんいると思うんです。
そんな「これまでくやしい思いをいっぱいしてきた人」「このままでは終われない」と思っている人が自分の人生について心の底から、
やった…!!!
これまでがんばってきてよかった…!!!
と思える瞬間を迎えるための方法を追い求めていきます。もちろん自分自身についてもそうです。
こんなふうに生きてきた
光り輝いている若い人ならいざしらず、オッサンの生い立ちなど誰も興味ないでしょう。なのでここでは各年代の印象的だったことだけを書いておきます。
暗黒の小学校時代
住んでいたところはすごい田舎でした。小学校まで歩いて片道1時間。それだけでも入学したばかりの1年生には過酷なのに実際はもっと大変なことが待っていました。
朝の集団登校ってありますよね?最近の登校班は男女混合が多いようですが当時は男女別でした。
何が大変だったかというと、この登校班の班長(6年生)がとんでもないヤツだったのです。
コイツの趣味は「ビンタ」でした。
言っときますが戦中の話じゃないないですよ?昭和50年、1975年ころの話です。
下級生は毎日のように誰かがビンタされました。「往復ビンタ」もあった。特に身体の小さい僕は狙われました。
もう学校に行くのがイヤでイヤでしょうがなかった。学校がイヤなのではなく登校がイヤだった。泣きそうになりながら玄関を出ていった記憶があります。
それから1年がたち班長が変わりました。
これでビンタ地獄から解放されるかと思いきや現実は甘くなかった。
次の班長も輪をかけてヒドいヤツだったのです。
コイツは「ビンタ」の風習を確実に受け継いでいた上にさらにヘンタイ的な趣味があって、下級生はほおや舌を洗濯バサミで挟まれました。取ったらビンタされます。皆、痛いのをガマンしながら登校。
使い方、ちげーよ!!!
しまいには「オマエ、それつけたまま学校まで走ってこい」という意味不明な指令。真意が分からず???な顔をしていると「学校に着いたらまた班に戻ってこい。途中でそれ外すんじゃないぞ」。
――まさに暴君ネロでした。
ただでさえ遠い学校までの道のりを走らされ、また班まで戻ってこなくてはならない理不尽さ。さすがに走ってる途中は洗濯バサミを取りましたがあれは本当に異常な世界でした。今思えばよく耐えたと思います。
逆に学校生活についてはあまり記憶がありません。登校班での出来事が強烈すぎて肝心の学校の記憶が薄らいているのかもしれません。
丸坊主の中学生時代
通っていた中学校は問答無用で全員坊主。軟式テニス部に入り、坊主頭でテニスしてました。
東京へ引っ越し
中学3年のとき、高校受験を目前にして、サラリーマンの父親の転勤で突如東京に行くことになりました。
帰宅部だった高校時代
1時間に1,2本しか電車の来ない田舎から東京へ。環境に圧倒されたということもありましたがそれ以上に壁だったのは言葉。最初の1年は方言バリバリで何をしゃべっても笑われるという状況。
これを逆手にとって利用するというふてぶてしさは持ち合わせておらず、次第に無口な人間になっていきます。
クラブ活動もせず暗~い3年間を送ることになりました。
もちろん童貞です。当たり前じゃい!!
大学デビュー?
それまでがひどかっただけにこの4年間はそれなりに充実していました。テニスサークルにも入りましたがメインは武道系のクラブ。毎日、練習してました。あとはバイト。
勉強は全然。今思えばもっとやっておけばよかった。当然、インターネットもありません。
卒業旅行
24泊25日で1人でアメリカに行きました。予約したのは行きと帰りの飛行機のみ。あとは出たとこ勝負。バックパックを背負いながら毎日安いユースホステルを渡り歩いていました。このころはまだ度胸があったんです。
英語が話せる?ハハハ、まったく話せません。話せないということがそもそものきっかけだったから。
この旅行中いろいろなことがあったけど、いちばん強烈だったのは、ある日、街中で知り合ったアジア系のアメリカ人と親しくなり、いっしょにメシを食べた後、その人の部屋までノコノコついていったこと。今なら絶対行かないけどね。
古ぼけたエレベーターに2人で乗りながら、内心、これはちょっとマズったかなァ?と思いつつも引き返せず。
で、結局どうなったかというと、部屋でその人の持っていた「小林ひとみ」(当時大ブレイクしてた)のアダルトビデオをいっしょに観てあとはゴニョゴニョ…(ご想像にお任せします)
最終的にアブナイことは何もなかったけど、今尾思えば無事で帰ってこれてよかった。次の日も来なよ、と言われたけどさすがに行きませんでした。
これから1人で海外に行こうという人へ、
こういう時は絶対ついていっちゃダメだよ!!(説得力なし)
小売店に就職、まさかの営業マンに
子供のころから「セールスマンにはなりたくない」と思ってました。それがまさかのセールスマン。信じられませんでした。
というのも僕は人と話すのが得意ではないからです。典型的な内向型人間。人の家に行ってモノを買ってもらうなんて絶対ムリ!と思っていました。
でも当時は今と違って転職なんて95%ありえなかった。ほとんどの人が終身雇用を前提に就職していた時代です。だから辞めるなんて選択肢はなかった。
ただ、幸い?だったことに当時は景気がよかった。バブル景気は弾けたといってもまだその余韻が大きく残っていた。なので僕のような営業マンでもそれなりに売れたのです。なんとか形になるくらいの数字は取れた。
これが僕の営業の原体験になりました。誰でもそうだと思いますが原体験が人に与える影響は大きい。苦手だけど、決して得意ではないけれど、真面目にやればなんとかできると思って営業をやり続けたわけです。
ずっと同じ会社で働いてきた
そして1年が2年になり、3年が4年になり、気づけば10年。
この頃になると景気も下り坂になり、僕の成績も右肩下がりになり、だんだん営業が辛くなっていくのですが、すでに30歳前半。結婚もしていたのでもはや辞めることはできませんでした。
そしてこの後も苦手な営業をヒーヒー言いながら続けていったのです。イヤな上司にもさんざん出会いました。でも続けた。
そして気がついたら25年!!
どんだけ長いんだ?って話ですよね。すでに40代後半。疲れはてた中年のできあがりです。
現在のくらし
さて、そんな内向型人間の僕が四半世紀の長きにわたり一つの会社に勤めてきた結果、現在のくらしぶりはどうなのか?
ひと言で言いましょう。
苦しいです。
僕の稼ぎだけでは家族が生活していくのがやっと。子供を大学に行かせてやることなどできません。ムスメはカミサンがフルタイムで働いてギリギリ行かせてやれたというのが現実。
中二のムスコは「ウチはビンボーだ」と言います。
カミサンはテレビでハワイが映っているのを見て子供の前で「ウチなんか一生行けない」と言い放ちます。もちろん僕もいる場で。
……。
ここでちょっとだけ感情的になってもいいですか?
これ…
くやしすぎる!!!!!
こんなにも長い間働き続けてきて、その挙句、子どもやカミサンから貧乏だと言われるのって…何?
これまでのオレの人生って何だったの?
そして思ったのです。
このままでは終われない!!!
その思いがブログの原動力になっています。(感情的終わり)
年齢と内向型であることについて
誰だって「今の自分は年をとりすぎている」と考える
ちなみにこれを読んでくれているあなたにお聞きします。
あなたはいくつですか?
35歳?
39歳?
43歳?
……。
めっちゃ若いじゃないですか!!!
もしその年齢であなたが、自分はもう年だから、なんて言うのであればこう言わざるをえません。
冗談顔だけにしろよ!!!
…なんて、いきなりごめんなさい。
実はこれ、昔僕が言われた言葉なんです。忘れもしません。
B型で典型的な「熱しやすく冷めやすい」タイプの僕は28歳のとき、突如ボクシングジムに通い始めました。モヤシのような身体のくせに、というかモヤシのような身体だからこそ、強くなりたいという欲望が強かったんですね。結果的にはこのジム通いはただの体力づくりで終わりました涙
それはさておき。
通っていたのは東京都町田市にある「横田ボクシングジム」。会長は横田広明氏。サラリーマンとボクサーの2足のわらじを履きながら、32歳で世界挑戦まで行った人です(惜しくも敗れちゃったけど)。僕が通っていたのは引退後のこと。
ある日、練習中、僕はふと会長に言いました。「僕なんかもう年ですから」
というのもボクシングジムには若い人が多く、そのほとんどが20歳前後。10代の少年も多かった。そんな中でサラリーマンをやっている28歳の自分はやけに年に感じたのです。それで何気なく口にしたのですが…
「もう年だァ?」と会長はめずらしく怒った口調で言いました。
「その年で何言ってんだよ?冗談顔だけにしろよ」
え?
びっくりしました。何か悪いこと言った?
今思えば当時の会長は引退後まもない時でした。たぶん33歳くらい。でも心の中に現役復帰を期するところがあったのでしょう(実際その後短いですが復帰します)。そんなところに僕が28歳くらいで年だのなんだの言ったことが許せなかったのだと思います。
――何が言いたいか分かりますか?
何かを始めようとするとき、ほとんどの人は今の自分は年をとりすぎていると考えます。
それ違うよ。
年だと思い込んでいるのは自分だけ。人はあなたの若さを羨ましいと思っています。
今のあなたはまだ若い。まだできる。
誰だってできるのです。いくつからだってできるのです。
内向型人間が活躍できる時代になってきた
これは僕のヒガミ根性が入り混じった考えかもしれませんが…
これまでの世の中はこんなタイプの人が支配していました。
- 身体の大きい人
- 声の大きい人
- 外向型の人
- コミュニケーション能力の高い人
これは分かりやすく言うとこういうことです。
あくまで例えですよ?タイプとしてです。誰もがそうだというわけじゃない。
でも僕がいた部署でも数字のいい人、デカイ顔をしている人は野球部出身の人が多かった。営業部だったから余計にそうだったということもあるでしょう。
でも世の中の縮図として、そういうタイプが幅を利かせていたということはあたらずといえども遠からず。
そんな世の中でしたから内向型人間にとっては必ずしも居心地がいいわけじゃなかった。特に僕のような、
- 身体が小さい
- 声も小さい
- 話すの下手
な人間は肩身が狭かったのです。あなたはそんなことなかったですか?
でも今、時代は変わろうとしています。いや、すでに変わりつつあります。
誰でも新しい生き方ができる時代になっている
今、若い人たちが――20代30代の人たちを中心に――新しい生き方を始めています。それは今までに存在しなかった、存在しえなかったまったく新しい生き方です。昔の人には想像すらできない生き方。
わずか10年前までは、いったい誰がブログで稼ぐなんてことを想像できたでしょう。それも生半可な額ではありません。10万円、30万円、さらには100万円に到達する人だっています。これは地殻変動以外の何物でもありません。とんでもない大きなうねりが起こっているのです。
40代50代の働く世代のほとんどはそれを信じられない思いで見ているでしょう。自分とは別の世界の出来事のようにとらえている人もいるでしょう。それどころか、そんな人たちがいることすら知らない人もいるでしょう。あるいは知らないほうが幸せだともいえます。
でも…あなたはそれでいいんですか?
これは夢物語でもおとぎ話でもありません。あなたの目と鼻の先で起こっていることなのです。こうしている間にも若い人たちはどんどん新しい生き方を生みだしています。古い考え方を根こそぎひっくり返すような生き方を始めています。
それを…あなたは見ているだけでいいんですか?
そんなことは若い人だからできるんだ?年とった自分にはできない?
そう思っているかぎりはそうでしょう。
僕はそうは思いません。
いくつだってできる。何歳からだってできる。
そしてもうひとつ大事なこと。
内向型人間だって活躍できる。
野球部出身の人間が幅を利かす一昔前の世の中からは明らかに変わってきています(ちなみに野球部に敵意はありませんよ。ムスコも野球部です)。
今の世の中は内向型人間のあなたでも活躍できます。間違いなく。
「自分を変える」について
ずっと自分を変えたいと思ってきた
約50年に渡る人生で、自分について言えることはこれです。
ずっと人の目を気にして生きてきた。
自分の気持ちより人にどう思われるかばかりを考えて行動してきました。
いつからそんな考えが染みついてしまったのかは分かりません。でもけっこう早い段階からそうなっていたと思います。男のくせに情けないですね。でもしょうがありません。
人目を気にする人生。
それは「自分の人生ではなく、他人の人生を生きている」のと同じだとある本に書いてありました。まさにその通りです。
そんな自分がいやだった。だからことあるごとに自分を変えたいと思ってきました。この弱い自分を変えたいと思ってきました。
変えるべきは「自分」ではなく「何をするか?」
でもある時気がついたんです。
自分を変えるというのは今の自分の否定だと。
今の自分がダメだから変えたいという発想です。
それ、違うんじゃねーか?
もう今の自分はそのままでいいんじゃねーか?もうそろそろ認めてあげてもいーんじゃねーか?って。
変えるのは自分ではなくて、生き方を変えるべきなんじゃないかって。
生き方というのは簡単に言えば「何をするか?」
「自分を変える」のは大変でも、「何をするか?」なら変えられそうな気がしませんか?僕はそれならできるんじゃないかと思いました。
「自分を変える」に向いていた舵を思いきり切って、「何をするか?」に変えていこうと決めたのです。
本人の特徴&家族構成
◆とにかくブログが好き
ずっとYahoo!ブログやっていました。趣味のブログです。でも仕事並みに必死で更新していました。
人のブログを読むのも好きです。ブログは面白い!
◆運動オンチ
運動神経はゼロです。球技はまったくダメ。野球のボールを投げるとどこに飛んでいくか自分でも分かりません。ムスコが小学生の時は少年野球の練習に参加することになって死ぬ思いでした。
でも運動神経を必要としないランニングはOK。今はもうやめてしまいましたが過去にフルマラソン2回出場してます。
「初めてのマラソンにぜひ!かすみがうらマラソンはこんな大会だよ!」
4時間29分だけどね!
◆食べること好き
非常なやせ型なのですが食べることは大好き。ブログ書くことと同じくらい好きですね。このブログ、食べる話多いっす。
「『天のや』の絶品玉子サンドをそごう横浜店で買った、食べた、美味しかった!」
お酒は飲みたいけど飲むと眠くなるので週に1回。あとはブログ書いてます。
◆神経質
強迫性障害の気があり。ささいなことが気になります。好きで気にしてるわけじゃないんだけど。内向型とつながっているかもしれません。
◆家族構成
ツマ
45歳 事務職
家事きらい ケチきらい ダンナきらい
ムスメ
19歳 大学生
ハーゲンダッツ好き TDL好き 父無視
ムスコ
13歳 中学生
中二病 スマホゲーム、you tube狂 オヤジウザイ
キライ、無視、ウザイの三重苦。「温かい家庭」の時期は通りこして、今では「砂漠のように乾いている」という状態。
昔は「パパ大好き!」と言ってくれていた子供も今ではすっかり大きくなり、オヤジとは口を聞かなくなってしまいました。夫婦もほとんど会話はなく、ここ近年ブログに向かう時間が増すばかりです。
家庭をふたたびオアシスにしたい。僕と同じように思っているオトーサン、いませんか?
人生大逆転!!の野望
今、こうしてブログを書いていることは500%楽しいです。もちろん悩むこともありますがそれも含めて楽しいです。なんといっても自分でやりたいと思って選んだことですから。
でもこれは昔やっていた趣味のブログとは違います。
このブログを通じてかなえたいことがあるのです。
というのも僕はこれまで自分の仕事に誇りを持てませんでした。それはやはり好きじゃないことをやっているから。合わないと思うことをだましだましやってきたからです。だから、仕事は楽しいんだよ、やりがいがあるんだよ、ということを家でムスコに伝えてあげることができませんでした。
でもそれって親としての大事な役割を果たせてないってことですよね?
そのことはずっと気になっていました。これじゃ将来働くことに夢を持てないんじゃないかって。そう言えば自分の父親も仕事については僕以上に何も語らない人でした。サラリーマンでしたが何をやっているのか分からなかった。
やっぱりそれはよくない。大人は子どもに対して仕事について、そして人生について夢を与えてあげるべきです。少なくとも僕はそうでありたいと思った。
だから僕はブログを書くことを通してまずは自分の夢を、目標をかなえ、その姿をムスコに見せてあげられるようにしようと決めたのです。本気でやればできるんだと。
ブログの目標をたまにムスコに話すことがありますがヤツはほとんど信じてません。は?みたいな感じ。そりゃそうでしょう。こんなオッサンが、ムスコから見たら目の前のだらしないオトーサンが、そんなことができるとは思えないのは当然です。
だからこそやりとげたい。到達したい。その姿を見せたいと思うのです。そうすることで、ムスコが、
本気でやればぼくでもできる、という気持ちを自分のやりたいことに対して持てるようになってほしい。
それが願いです。
そのための「人生大逆転!!」です。
それは僕だけのことじゃないですよ?この長いプロフィール・ページをここまで読んでくれたあなたにも共通することです。
誰にとっても残りの人生は今日からです。ねっ、ちょっとやってやろうじゃありませんか。