目次
白状します
ぼくは「昭和のおっさん」でした。
いきなりこんなことを言っても、分かる人には分かりますが、そうでない人にはなんのことかさっぱりでしょう。
説明します。
これは1週間ほど前に、ブログ界隈ではその名を知らぬ人のない、プロブロガーのイケダハヤト氏が発信したものです。
よく読まれてます。/ え、まだ妻を家に閉じ込めてるの?昭和のおっさんなの? : まだ東京で消耗してるの? https://t.co/a6vcRpJMf9 pic.twitter.com/AwiTQtmDIg
— イケダハヤト (@IHayato) 2017年3月14日
ここに書いてあることを読んでぼくは頭をガーンと殴られたようなショックを受けました。
なぜか?
こう思わずにいられなかったからです。
これはぼくのことだ。
読んでいただければ分かりますが、あらためて書かれていることを紹介します。
いやー、びっくりしたんですよ……。
最近の若い男でも、「結婚したら、彼女には家庭に入ってもらおうと思ってます」みたいな人が一定数いると聞いて……。
ぼくは今48歳です。結婚したのは今から22年前ですが、当時、これに近いことを考えていました。実際は出産までは共働きでしたけど、本音を言えば家にいてほしかった。
さらに驚いたのは「妻が夫より稼ぎがあるのは許せないから、妻には働かせたくない」という男もいるそうな……!?
ぼくの妻は子どもがある程度大きくなってから再び仕事を始めました。アルバイトのような仕事だったのでそんなに給料が上がることはなかったのですが、それでも、
もし妻のほうが稼ぎが多いようなことになったら、
きっとぼくは面白くなかっただろうと思います。
ということをチクリと感じた瞬間、次の文章が目に飛び込んできたのです。
すごい器の小ささですよね。「もはや器を持っていないレベル」と、プロブロガー仲間のヨスさんが辛辣コメント。
こういう人たちって、ほんとうに頭が悪いんだなぁ、と思います。
思わず石のかたまりを飲み込んだような気分になりました。
「すごい器の小ささ」
「もはや器を持っていないレベル」
「ほんとうに頭が悪いんだなぁ」
言葉が出ませんでした。
そしてさらに追い打ちが。
稼ぎの低そうな男たちほど、妻を閉じ込めるイメージが……。ちんけなプライドを大切にしてる感じで。
飲み込んだ石が途中でつまった気分でした。
「稼ぎの低そうな男たち」
「妻を閉じ込める」
「ちんけなプライド」
…読んだまま、身動きがとれなくなりました。
これはすべて自分に当てはまることだったからです。
恥ずかしながら、わが家はぼくの給料だけでは生活が成りたちません。妻が働きだしてかろうじてムスメを大学に入れてあげることができましたが、ぼくの給料ではそれこそ食べていくのがやっとなのです。
なのに最初、もう今から5,6年前になると思いますが、妻が働きたいと言ったとき、ぼくはいい顔をしませんでした。ひとつにはまだ子供が小さい――小学校3年生くらいでしたでしょうか――からということもあったのですが、それとは別に、妻が稼ぐということに対し、どこか面白くないという気持ちもあったのだと思います。
そして、その後も、今に至るまで、そんな情けない状態なのに、根拠のない、意味不明なプライドだけは持っていました。なんともばかばかしいことに、『サザエさん』のような家庭が理想だと思っていたのです。当然、ざぶとんが使えるのは波平さんだけww
…というのは冗談だとしても、自分自身も子供のころ、「外で仕事をする父親」と「専業主婦の母親」という環境で育てられたせいか、その古臭い考えが抜けなかったのです。
結果、妻や子供には夫や父親に対する理想的な接し方を心のどこかで求めていました。
もちろん、ぼくは波平じゃありませんから今じゃ家事もよくやります。炊事、洗濯、掃除。それなりに上手になりました。
でも、心の中ではいまだに、「オレが代わりにやってやってんだ」という気持ちがあるのは否定できません。つまらないプライドを後生大事に抱えながら風呂を洗い、皿を洗い、ワイシャツにアイロンをかけているのです。
そして悲しいことに、そんなぼくが笑ってしまうほど安月給なのです。
これこそまさに
「器のないレベル」。
自分についてうすうす思っていたことがイケダハヤトさんとヨスさんによってはっきりと言い表されてしまったのです。これ以上正確な言葉はないというくらいに。
それを読んでぼくは、誰が見ているわけでもないのに、穴があったら入りたい気持ちでいっぱいになりました。自分の器の小ささが――いや、器のなさが、公衆の面前にさらされたような気分になりました。オメーはそんな人間なんだよ、と引導を渡されたかのような。
本当にガックリきました。
今まで自分は何をやっていたんだろうと思うと同時に、
器のないおっさんを夫や父親に持ってしまった妻や子どもの不憫を思いました。
客観的に見て可哀想すぎる。
もっと大きな器の、いや、小さくてもせめて器くらいはある夫の妻に、父親の子になれればよかったのに。そんなことを思いました。
以来、思い出すたびに身体のあちこちが締めつけられるような気持ちになります。
もはやぼくという人間はあらわにされてしまいました。それは他人に対してというより、自分自身に対してです。
どんなに体裁を取りつくろうが、どんなに言い訳じみたことを口にしようが、もう隠しようがありません。今さら隠しても意味がありません。
自分は「昭和のおっさん」だったのです。
それも、
器すら持っていない「昭和のおっさん」―――
変わっていくために
けれど、いつまでもうなだれているわけにもいきません。
器のない「昭和のおっさん」であることを認めるのはツライことではあるけれど、それがはっきりと分かった今となっては、つまり、自分のこれまでの生き方、ものの考え方が間違っていたと分かった今となっては、いつまでもこのままでいるわけにはいきません。
この甲斐性なしをなんとかしたい、せめて器といえるものを持ちたい、そんなことをぼんやりと考えていた時、何気なく目にした新聞に、こんなことが書かれていたのです。
おはようございます。
朝刊に載ってました。
「もっともよくひとを幸福にする人がもっともよく幸福になる」〜オムロンの創業者、立石一真氏の言葉。— ウリモリ (@urimorini) 2017年3月19日
読んで思わずツイートしました。
「もっともよくひとを幸福にする人がもっともよく幸福になる」
この類いの言葉は決して今まで耳にしたことがなかったわけではありません。同じようなことを他にも多くの人が話しています。
でもこの時はなぜかスーッと心の中に入ってきました。
そのとき思ったのです。
妻と子どもすら幸福にできない自分が幸福になれるわけがない。
だったらまず、妻と子どもを幸福にしてあげることから考えよう。
いちばん身近な人を幸福にしてあげることを考えよう、と。
幸福というのは「楽しい気持ち」とか「嬉しい気持ち」とかに置きかえてもいいです。要は幸せな気分にしてあげること。
自分の「ちんけなプライド」を捨て、無理をせず、自分のできる範囲の中で家族を幸せな気分にしてあげられるよう、生き方を変えてみよう。
そう思ったのです。
それから、家族を幸せな気持ちにさせてあげられるようになったら次はそれをまわりの人にも広げていこう。
――そんなふうに考えたのは初めてのような気もします。もともとぼくは、人目を気にする小心者なのですが、それは裏返すと、自分のことにしか興味がない、自分の気持ちのことしか考えられない、視野の狭い人間でもあったからです。
でもやっと、そこからわずかながらも外に足を踏み出したような気がしました。
まずは自分のもっとも身近な人を幸福にすること。
そしてそれをまわりの人にも広げていくこと。
半世紀近くも生きてきて、ようやくそんなことに気がつきました。普通の人は普通にやっていることですよね。
何をどう変えていくの?
もちろん、こうしようと決めたからと言ってそう簡単にできるわけではありません。なんせもう50近いんだから身体も固ければ頭も固い。ただでさえ、人は年をとればとるほど自分の考えに固執するようになります。
頭の中では分かっていても気持ちがついてこないということもあるでしょう。ついつい「ちんけなプライド」が頭をもたげてくることもあるに違いありません。
すべてにおいていきなり180度変わるのはムリです。逆に自分のほうがキシみだしそうで。
だからまずは「一日一善」。
これじゃまるで昭和の頃に流れていたコマーシャルみたいですね。でもその言葉自体は悪くない。一日に一回は、まずは家族を幸福に――いい気分にしてあげること、うれしい気分にしてあげること。
何かやってあげられることがあれば面倒くさがらずにやってあげること。助けてあげられるときには助けてあげること。
特別そういうことがないときでも、自分から気持ちよく挨拶の声をかけること、ねぎらいの言葉をかけること、小さなことでもありがとうと言うこと。それくらいならできそうな気がするのです。
とにかくまずは「ちんけなプライド」をトイレに流してしまいたい。あっても何の役にも立たないガラクタを手放してしまいたい。
と、分かっていても手放すのが難しいのが「ちんけなプライド」でもあるんですけど。なんせこびりついてしまっているから。
でも捨てる。
捨てるったら捨てる。
そして自分の器を持つ。持てるようになったらそれを大きくしていく。
まるで陶芸家ですね。50近くになって自分の器作り。
始まりの始まりにするために
今、少しずつそれに取り組んでいます。ほんのささいなことから。
もちろん、道のりは厳しいです。自分自身が変わることもそうですが、それを受けいれる側の家族にとってもことはそう簡単ではないでしょう。積年のウラミもあるでしょうし汗
特に、子どもはまだしも、妻に対しては難しい。
それについてはまた別の機会に触れますが、一言でいうと関係性が冷えこんでいるから。
それもかなりの重症です。零下40度くらい。
そんな関係ですからぼくがボールを投げても返ってこない可能性もあります。
難易度は相当高い。
でも、千里の道も一歩より。ボールが返ってこなくても、まあ仕方ないか、と思えるくらいにぼく自身がなれればいい。とりあえずやれることからやっていってみましょう。
まとめると
ネットの世界は移り変わりが早いので、もうあの記事が話題に上がることは少なくなりました。
が、ぼくにとっては喉元に刺さった骨のように、いつまでもそこに残っています。自分ってそんな人間だったんだ、そんなレベルの人間だったんだ、ということを自分自身が知ることになった、大きな気づきを与えてくれた記事でした。
今回このような記事を書いたのは、そのことを誰かに知らせたいというよりは、自分の中ではっきりと形にしておきたいと思ったからです。
ただ、ショックを受けた、で終わらせるのではなく、何がどうショックだったのか、それを受けてこれからどうしようと考えているのか、それを明確に残しておきたいと思ったからです。
何年か後にあらためてこの記事を読んで、ああ、あの時自分はこうだったのか、ここが変わるきっかけだったのか、と思えるように。
平成29年3月までは「昭和のおっさん」だったけど、その後は――元号がどうなるのか分かりませんが――「新しい時代のおじさん」になれるよう、家族にもそう感じてもらえるよう、少しずつ自分を変えていくつもりです。
余談ですが
毎日、Twitterやいろいろな人のブログを読んでいて思うのですが、今の若い人はすごいですね。特にトップランナーと目される人の発信力たるや。
ぼくが20代の頃はインターネット自体がなかったですから環境が違うというのはあるにしても、今の世の中はすでに若い人たちが作りつつあるように感じます。
それにしてもイケダハヤトという人はやはりタダモノではない。お世辞ではなくそう思います。
今回の記事もそう。
か、か、家庭に入る。なんだその斬新コンセプト……。
家庭って牢獄みたいなものだっけ?「入る」んじゃなくて「作る」ものじゃないの?
こんなこと、サラリと言えますか?
「家庭に入る」ことを「斬新なコンセプト」と笑い飛ばし、「入る」んじゃなくて「作る」ものと言い切る。
なんと核心を突いた表現でしょう。
ぐうの音も出ないとはこのことでした。
これによって48歳のおっさんの心が激しく揺さぶられ、
揺さぶられた後、おっさんはこのような考えにいたるのですから、その影響力はすごいと言うほかありません。
トップランナーたる理由はこんなところにもあるのでしょう。
時代は変わりつつあります。がんばろうっと。
文字ばかりのブログを最後までお読みいただきありがとうございました!
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